悲しみに向き合う

自分の人生は結局自分にしかわからないし
どういう選択をしたかも自分にある
大切なのはどんな選択をしても
それでよかったと思い次に進むこと活かすこと
でも分かってても繰り返してしまう
弱っているとき、終わった後にいつもチャンスが訪れる
そしてそれらは掴めずに終わる
普段の私ならそんなに難しくないことでも
弱っているときではハードルがかなり上がるし
冷静な判断はしづらい
どうしたほうがいいのか分かっているのに、
我慢できない

数秒後には気が変わってしまうし

気が楽になったかと思えば、
すぐに悲しくなったり
全く安定しない
そんなに酷くもないし波も大きくはないけど
食べようとしていた物を調理しているうちに
食べたくなくなったり、別の物が食べたくなってしまうのも困る。

自分の気持ちがどこにあるのかわからない。
ふと、自分が望んでいることが思い浮かぶ事があるけど、数秒後にはそうでもなくなっている。

その望んでいることは昔の自分が望んでいたことであって今の私が望んでいることではなかったりする。
でもたまに昔の自分がでてきたときは、
本当に今の現実が悲しすぎてどうにかなりそうになるし死ぬしかないと思うときもある。
むしろ、このまま死ねたらいいと思うし
そのまま逝けたらいいなと。
あえてその気持ちをキープしようとするけど、
大抵そういうときは眠気が襲ってきてそれに負けてしまい、起きたときにはいつもの自分に戻っている。

どっちが楽かといえば勿論、希望を失った何も感じない自分だけど、
どっちでいたいかといえばやっぱり悲しくても苦しくても頑張れる自分がいい。

でもそれでは耐えられないからこうなったんだと思う。

なんとか復活させたくても
すぐに麻痺してしまう。

もうこうなったらおしまい、
死ぬまで仮の自分で居続けるしかないのだと思う。

でも寂しいし苦しい。
麻痺しても苦しみが消えるわけじゃないんだから
ちゃんと向き合わなければならないのに
どうしようもない出来事とかは忘れるしかないし
麻痺しても頑張れるモチベーションが整っているときはよかったのに
なんでそれさえも崩されないといけなかったんだろう
これも人生なんだろうか
人生そう上手くはいかないから
生まれたときから自分を殺されながら生きている人もいるし
私は無断に小さい頃希望を持たされた分
悲しみとかそういうのが強い
どうしてこんなことになってしまったのか
幼い頃の自分でも、自分が大人になれる訳がない、
想像がつかない、怖いと
感じてはいたがここまで酷い事になるなんて
思わなかった。
小学校高学年からは大人になろうと必死で頑張ってきたのに。


ここまで堕ちても再建することなど
出来るのだろうか

度々後悔しながらも前に進めればそれでもいい

問題は、強迫思考をどうにかすることだ。

こいつは私を一番妨害した。

こいつがいなかったら、
まだ前に進めたのに。

こいつのせいだ。

何かをしようとすればするほど
こいつが出てきて邪魔をする。

努力が実るどころか
頑張ることもできない人生

中学生の頃から人間扱いされない人生
普通になろうと頑張ってきたのに
ただそれだけが夢だったのに

なんでこうなるの
なんで前に進もうとする足を引っ張るの

どうして頑張れないの
止まれば更に辛くなるのに

むしろ自分を誤魔化して
向き合わなかった事が悪かった
人を信じなかった事が悪かった
信じようとしたし信じていた部分もあったけど
重すぎた
求めていない物ばかり与えられて
恩を売られて
それに答えるのが辛かったし
いいようにされるだけに思えたし
だからといって自分でどうにかできるわけでもないし
その人がいないと体は治らないと思ったし
なのにいつも誤魔化されてなあなあにされて
最後には切り捨てられる
こっちも弱みを握られてどうすることもできない
訴えることもできない
ついていった自分が悪い


そういう奴だって初めから分かってたのに
自分を正当化し続けて反省しない奴だって

でも人の悪口を言う奴だったから
駄目だって分かってたのに
愚痴だけならよかったけど人を馬鹿にしてたし
人を叩くやつほど自分も同じことをしているのに
そしてそのモラハラやセクハラを嫌々ながらも許した私も同類だった
どうせ私の言うことなんて誰も信じないし

サイコパスかよって思ったときもあった
でもそういう一面は誰にでも少なからずあるし
先生はそれを面に出してしまうだけ、
先生はいつも患者のために頑張っているし
先生の辛さとか気持ちも分かるし理解しあえるかもしれないと
思ったんだ
理解しあえたときもあった
揺れ動いていた
でも向き合えなかった
先生が受けている日々の辛さとストレスまでを
考えられなかった
先生の暴君ぶりは最後まで変わらなかった
そして私もある意味暴君だったかもしれない
だからどっちもどっち

先生が自身の悪いところを自分でわかっていたり
そういうところも含め
受け入れるか拒絶して他にいくか
するべきだったのに
私はやはりとても後悔している
先生は私を好きでいてくれたみたいだし
沢山励ましてくれた味方になってくれた

そしてこれからどうするべきか考えている
これから出来ること
今あるものに集中すること
その中で解決できることは解決すること
それがなんでこんなに難しいのか
こんなにいい環境を与えられているのに
頑張れない

誰もが
子供の頃から
少しずつ悲しみと憎しみと、後悔と罪悪感を
繰り返して成長するけど

それに気づくのが遅かったり
気づけなかったり
気づいてもなかなか抜け出せなかったり

抜け出せる自信がないのと
信頼しあえる友人を失ったこと
ある意味大切な人達を自ら切ってしまったようなもの
初めはすごくよかったり
共感しあえたり
信頼しあえても
そのうち離れられていく

付き合いが悪くなったり
彼等のペースについていけなかったり

でもそれは私が悪かったというより
私の病気が原因で
もしそれがなかったら、
彼等と縁を切ることもなかった

そして病気は治らない
治らないどころか悪化していく

馬鹿馬鹿しいことで
自分を追い詰めていく
理解者や支援者もいない
病んでいる家族に飼われているだけ
私は家族が嫌い
バカにされ続けて
私もバカを貫き通して
私が発達障害と分かったときも、
態度は変えてくれないし
その家族に感謝出来ず
更に悪くなる
本当は家族のことは嫌いじゃないから
今からでも親孝行したいけど
ここでもまた先生のときみたいに
心から感謝してないから
きっと上手くはいかない

不幸な人はその人の中にあって
周りがどんなによくしても
その人の不幸は変わらない

変わらないながらも支え合わないといけない

私ももうそういう人間になってしまったから

昔みたいに鈍感であり続けられていれば
少なくとも感謝もし続けられた

私が勉強できてしっかりさえしていれば
病気にさえならなければ
友達を失うことも希望を失うこともきっとなかった
失ったとしてもいろいろ解決策はあった
全力で問題に向き合えた

もう戻らない

これからは不幸ながらも悲しいながらも
これ以上後悔しないために
歩き続けるしかないんだろう

どんなに素晴らしいことが目の前にあっても
もう何も響かないのだから

そして手にいれることも喜びを感じることもできない

でも悲しみだけは今も感じる
苦しみも寂しさも

人は死ぬときは多分
喜びとか怒りとかそういう感情はでてこなくて
ただ悲しみと寂しさと後悔で終わるものだろうから
そういうのは出来るだけなくした方がいい

私はその苦しみを少し知っている

私は悲しくも皮肉にもようやく家族と同じ世界に
生きることができたと思う
これ以上悲しみと後悔を引きずらないためだけに
生きる日々を
私だけ違う世界に生きている寂しさは
もっと辛い寂しさになった