無能なサバイバルタイプ

私はどちらと言わなくてもその場その場で対応していくタイプの人間だと思う。
遠い未来を考え計画的に人生を築いていけるような身の安全が
保証されていない国で、
いつ敵が襲ってきてもおかしくない日々で
だからいつも感覚を研ぎ澄ませて
いつ死んでもいいように今出来ることは今しないとどうなるかわからないし
とにかく不安でいろいろと飢えている。
常に落ち着いていられないし
あらゆる可能性を想定していなければならない。
対応しなければならない。
仕事や勉強や片付けとかやっている場合ではない。
いつでも戦闘体制でいなければならない。
そういう世界に生きている人種。
でもいいのか悪いのか、悲しいかな日本はそういう国ではない。
平和過ぎるのが返って不安になり
私のような人種は
自ら不安を作り出そうとしてしまう。
それが強迫思考や、あらゆる障害となってしまうのかもしれない。
そして私のような人種は本来はただ平和であることだけを望んでいるから幼い頃に満たされてしまうと
頑張る意味を見いだせなくなり
平和な国ではだらしのない子供になってしまう
それが私の幼少期だ
適材適所にいられないということは
返って不幸を生んでしまうと言う悲劇だ
そして無理矢理平和な国の人達に合わせようとしてもなかなか上手くいかないし
ストレスだし
そのストレスにも気づかなくなってしまうし
いつの間にか自分がわからなくなっていたり
むしろ本来の自分のよさが失われ
不自然に合わせた結果、面白味のない
そして無気力で冷たい人種になってしまう
それは発達障害である私だけではなく
両親もその傾向があるようだ
そして震度6強の地震があったときも、祖父の家が全壊したときも祖父母含め家族は全く悲しそうじゃないし
何故か生き生きしているし
これは勘違いではなく本当に笑顔隠しきれてない
「映画みたいね」とはしゃいでいる
違和感だらけ
でもその中で落ち着いて行動できている
でもその感覚は私も同じで
「ああ、やっと私の生きる世界がここにある」
とさえ思った
安心できない世界が逆に安心感を生むと言う謎
幸い家族や親族に犠牲者がいなかったから
これですんだが
もし誰かが亡くなったりしたら、どうなっただろうか
不思議と私の家族ならそこまでダメージは受けないのかもしれない
そして他の犠牲者には全く関心がないように見える
私は少し悲しくなった
災害を楽しみ、人の不幸や悲しみには関心が薄く
共感できる不幸しか関心を持たない家族が
いや災害を楽しめる人と言うのは
落ち着いていて助かるための正しい判断ができるし結果的に他者を救えるというでもあり悪いことではないんだけど
彼等は強がっているのではなく本当に楽しんでいた。

いつ何が起きるかわからない不安をベースに
生きている人はあまり執着しない。

その場が全てだから

でも思い出は大切にする。

私は建設的に日々を暮らすことが苦手で
今も無意識にいつも何か起こるんじゃないかと
いうスタンスでいる
私は家族の中で一番センサーが強いので
何か異変を感じれば一番早く気付けるのは
何かによほど集中してない限りいつも私だ。

いいのか悪いのかその特技が活かされたことは
一度もなかったが。
動物ではないから地震の前触れまでは気付けないし..
これから何か活かせるのだろうか。