いい年して大人になれてないけど遅いながらも向き合う事、これが成長の一つとして欠かせない事

よい生活習慣や運動が健康につながると言うが

それよりも人との繋がり、心の健康が何より健康に繋がっていると思うし大事だと思う。

勿論生活習慣の改善や運動もしないよりはした方が絶対いいが、いくら食事に気をつけ、早寝早起きや運動をしていても孤独だったり悩んでいたりすると体は疲れてしまうし効果はあまり得られない。

よい生活習慣や運動により体がよくなり、気持ちもそれについてくるというのは

確かに少しはあるかもしれないが、鬱気味の人間にはそもそも

それをすることができないし、無理してそれを行っても変に気力を付け

変な方向に無駄なエネルギーを使ったり間違った道に行きかねない。

だからできれば理解者や周囲の協力があったほうがいい。

私の場合はこうして書くことで、整理をし、なんとか自力で持ちこたえ改善を試みる事が出来ているが、書けないときは本当に辛く人間的な状態ではいられない。

家族が支えてくれたらどれだけ助かったことか、どれだけ力になったか、どれだけ感謝をしたかわからない。

私は幼い頃から、本当に孤独な人間だった

物は与えられたが、愛は十分に与えられなかった。

怒られはしたが、叱っては貰えなかった。

時に甘やかされたが、私の味方になってくれたり気持ちを分かって貰えた事はなかった。

大きくなっても、当たり前のことをしただけで過剰に褒められた。

手伝ったり何かを教えてもらう時は少し手際が悪いだけで「要領が悪い!」といって

結局母だけで済ませられた。

私の作品や、大切な物はどんどん捨てられた。

話をするときは大抵話が終わる前に話を遮られ、主張ばかりされる。

何かを一生懸命にやっていると「こうした方がいいんじゃない?それはお母さん嫌い」と迷惑な干渉をしてくる

プライベートなノートや人の私物を勝手に見る

これらは些細な事かもしれないし母も十分な愛を受けて育っていない人間で不器用な人間だった。

普通より育てにくい子供だったから余計難しかったのもあるとは思う。

私はいつまでも子供であり、周りの子達とは気が合わなくなっていき

孤立しイジメにもあった。

小学生の時より酷いイジメだった。

そんな時も親は支えになってくれかった。

「中学生は大人だよ」と言われ、見放された気がした。

中学生こそが一番多感で、壊れやすい時期なのに。

こんな親なら反抗期を迎えてもよかったのに

私は思春期にちゃんとした反抗期を迎えられなかった。

それなりに反抗はしていたが

その時はとにかく寂しかったしただただ自暴自棄だっ

むしろいっそのこと

とことん二人ともクズだったり初めから分かりやすく思いッきてわかるように見放せば

もっと反抗期だって迎えられたかもしれないのに、

親のせいに出来たのに、同情だってもらえたのに、

もっと自立できたかもしれないのに

発達障害の私はとにかく自信もないし、不安だらけだし

とにかく愛がほしくて守ってもらいたくて自分を見てほしくて

ただ面倒を見てくれる人の言うことを信じるしかなかった。

親が嫌いで意識からほとんど排除していたのと、形的にはいい親なので

正論を振りかざされると何もいえなくなるしとにかく自分だけが悪いと思っていて塞ぎ混むしかなかった

一方、私には兄が一人いるが、兄は発達障害ではなかったので

早々と両親や人生に見切りをつけられたようだった。

多少ひねくれてはいるが安定した職につき、結婚もし父親にもなった。

 

私は、わずかながらの友達だけだけが支えであり救いだったが

その頃の友達は全員私より精神的に、ビジョンが安定していたため

当時の私は重たい存在になっていた。

それも寂しかった。

そして二十歳を過ぎると今度は逆に昔の私のような

寂しさでいっぱいの依存的な人々に依存される人間関係で構築されてくるようになった

私はもうそういう人間関係は必要としていないしまっぴらだ。

そして結局傷つけあい人間関係も壊してしまう。

でもそれは私がまだ自立していないからだ。

自立できたら、もっと自立した人間関係になる。

でもなかなか自立できない。